青谷の旧跡


市辺押磐皇子(いちのべのおしわのみこ)故跡
第17代・履中天皇の皇子・市辺押磐皇子は皇位継承争いに巻き込まれ弟の大泊施皇子(雄略天皇)の為に暗殺されました。その遺児2人(億計王:おけのみこ、弘計王:をけのおおきみ)は逃れて播磨国(兵庫県)に身を隠したが、後に迎えられ第23代・顕宗(けんぞう)、第24代・仁賢(にんけん)天皇として即位しました。当地は市辺押磐皇子の居住していた所と伝えます。

松井蔵人旧館跡
太平記巻三に「山城国の住人深須入道、松井蔵人二人はこの辺の案内者なりければ、山々峰々、残る所なく捜しける間、皇居隠れなく、尋ね出されさせ給う」などとある松井蔵人の館跡と伝えられています

 建武役城氏館旧跡
   建武年間、中村の城主・城大外記資茂の屋敷跡とされその子孫は稚尾山観音寺の再興に務めたと伝えます。

 山の神さん(三の口)
山仕事の安全と農産物の方策を祈願して、一の口、二の口、三の口と名付けた3か所の山の入口にそびえたつ大木を神の宿る木「山の神」として祭ごとを行ってきた。戦後二の口は山砂利採取場に取り込まれ、一の口、三の口が現存し、初寅の日に祭ごとが執り行われている   

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